2016年1月28日木曜日

「少年H」の舞台を訪ねる 2016/1/10


 2013年に映画化された妹尾河童作の小説「少年H」の舞台の神戸に行ってきました。

「少年H」あらすじ

 胸に「H.SENO」の文字を編み込んだセーター。外国人の多い神戸の街でも、昭和十二年頃にそんなセーターを着ている人はいなかった…。洋服屋の父親とクリスチャンの母親に育てられた、好奇心と正義感が人一倍旺盛な「少年H」こと妹尾肇が巻き起こす、愛と笑いと勇気の物語。毎日出版文化賞特別賞受賞作。(「BOOK」データベースより)


この「少年H」という小説は、舞台美術家であり作家である妹尾河童自身の戦前・戦後を挟んだ少年時代の体験をもとに書かれた自伝的小説であり、河童が育った神戸の町が舞台となっています。今回は、作中に出てくる3か所の場所に行ってきました。




Hは次の日曜日に、大丸百貨店の近くへ出かけた。焼け残ったビルが進駐軍の病院として使われていたからだ。


1945年あと半年で終戦になろうとする2月ごろ、米軍機の神戸市街地などへの攻撃が本格化し、317日、511日、65日が大規模空襲とされ、8千人以上が犠牲になったとされています。


 さて、その建物は、正確にはわかっていないのですが、大丸神戸店の近くにあったとされています。この場所で主人公は、絵が上手だったので進駐軍のアメリカ兵の似顔絵を描いて、そのお礼にたばこをもらい、それを米に変えていました。


目指す「フェニックス工房」は、トーアロードを下りて西側の路地の奥にあった。でも、すぐには見つからずウロウロしてしまった。


 このトアロード周辺の店の、「フェニックス工房」という看板屋で、主人公は働いていました。この場所で働けたのは、小磯先生という人の紹介で、小磯先生との出会いは主人公にとって、とても大きなものです。


 有名な洋画家である小磯良平は兵庫県立第二神戸中学校卒で、「少年H」 を書いた妹尾河童さんの先輩で、実際に小磯画伯に師事していたそうです。
 教練射撃部には、この神社の境内を掃除するという伝統的な仕来りがあった。それは、雨が降ろうが風が吹こうが、毎日曜日の朝に行われ、部員は絶対にサボることはできなかった。

 この場所に主人公は、勤労奉仕によく行っていました。勤労奉仕とは、学生たちを無償で働かせることです。本当なら勉強をするはずだった時間に働き、お腹もすいているのに働かないといけないということは、辛いことだと思いました。
 「少年H」に関する場所を訪れてみて、やっぱり本の中のより発展しているなと思いました。でも、そんなに変わらずに残っているところもあって、少年Hを追体験した気分になりました。
戦 争が実際にどんな風だったか知らなかったけど、この小説を通して、少しは理解できたかなと思います。
 この本は、主人公Hが戦争を通して思ったこと、感じたことがそのまま書かれていて、読みやすいので、多くの人に読んでほしいなと思いました。


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妹尾河童(舞台美術家・随筆家)
昭和5623日生まれ。小磯良平に師事。藤原義江歌劇団にはいり,昭和29年「トスカ」の舞台美術を担当し注目される。33年フジテレビに入社,映像美術を担当。55年独立,以後オペラ,バレエ,演劇の舞台美術を手がけた。名はあだ名からの正式な改名。平成9年小説「少年H(毎日出版文化賞)が大ベストセラー。兵庫県出身。神戸第二中学卒。著作に「河童が覗いたヨーロッパ」など。

参考資料
「少年H」 妹尾河童 (講談社)
 
取材:入江遥