2016年1月29日金曜日

敬七郎ソースでわかる!開港当時の味 2016/1/10







 つい先日、スーパーで買物をしていて調味料売り場を通りかかった時のことである。

「ん?こんなソース置いてたんだ、今まで気づかなかった。」



 そこにあったのは阪神ソースが製造している「敬七郎ソース」だった。どうやら敬七郎ソースは当時のレシピを再現したソースらしい。もしかしたら神戸港開港当時の料理がどんな味だったのか知れるかもしれない。今回はこのソースを題材にブログを書いてみようと思う。
 

敬七郎ソースとは?

敬七郎ソースとは阪神ソースが1855年に製造したソースである。敬七郎とは阪神ソースの創業者である安井敬七郎からとったものであり、この安井敬七郎は日本で初めてソースを作った人物である。


日本のソースができるまで

 阪神ソースのHPに日本初のソース誕生の経緯が記されてあったのでかいつまんで紹介しよう。

 前述のとおり、日本で初めてソースを作った人物は阪神ソースの創業者である安井敬七郎である。とある日、敬七郎がドイツの工学博士ワークネル教授と神戸で食事をしていた時のこと。「神戸には美味しい肉があるのに、どうして日本には美味しいソースが無いのでしょう?」その時につぶやいた教授の何気ない一言が敬七郎をソース作りへと駆り立てた。この一言が無ければ日本でソースの生産は始まっていなかったかもしれない。敬七郎はソース作りに取り掛かると、ソースの本場であるイギリスへソース工場の見学に出向いてソースのことを学んだ。そして敬七郎はそのまま西洋のレシピをコピーするのではなく、日本人の口に合うように日々研究を重ね、明治18年(1885年)に国産第一号のソースを完成させた。これが現在の敬七郎ソースである。



 今回は神戸港開港当時に流行っていた料理を再現し、それに敬七郎ソースをかけて食べてみることで当時の味を体験(いわゆる食レポ)しようと思う。


開港当時の流行り飯は?

 神戸港開港当時、一体どんな料理が流行していたのか?ネットで調べてみた。

開港当時、カレーやオムライス、チキンカツ等の西洋料理が流行していたようだ。

そこにソースが製造されたことで焼きそばが新たに誕生したりそこからそばめしも普及したりしたそうだ。

調べていくと数えきれないほど出てくるので、何品かピックアップして食べることにした。


 まずはトンカツ、一口食べてみる。これは美味しい!普段使っているソースとは違い酸味が控えめで甘めのソース、トンカツによく合うなあ。いつも食べているトンカツがより美味しく感じる。ソースが違うだけでこんなにも違うんだ!気づけば完食。あと5人前くらいはいけるのになあ、、、、




 続いてやきそばを食べてみる。これも美味しい!!ソースが主張し過ぎず、かといってソースの味がしないわけでもない。素材本来の味とソースの味が見事にマッチしていて最高だ!小さいころに食べた屋台のやきそばを思い出すなあ。
 


 最後に食べるのはカレー。カレーにソースをかけて食べるというのは聞いたことがあるけれど実際にかけて食べるのは今回が初めて。味は、、、なんだかよくわからない、今までに食べたことのない不思議な味だなあ。カレーとはまた違う別の料理を食べてるみたいだ、これはこれで癖になりそうかも。
 



おわりに

今回は3品の料理にソースをかけて食べてみたが、どの料理もいつもと違った味を見せた(カレーは特に)。ソースが違うだけで、またはソースを加えるだけでこんなにも料理は変わるのか!とこの記事を書きながら感動している。こんなに美味しいソースを使っていた開港当時の人達が羨ましい!また別の料理でも試してみようかな。


【参考文献】

阪神ソース株式会社様-神戸ことはじまり

みんなで南京町に行っチャイナ! 第一部 豚まん放浪記 2016/1/10





1月11日、三連休最終日に神戸元町にある南京町に行ってきました。

以前一度だけ友人と行ったことがあるのですが、その時は本当にふらっと立ち寄っただけだったので今回再び訪れてみて、私にとって『はじめて』が沢山ありました。主に私目線ですが、南京町に来たことがない人にも興味を持ってもらえるよう書きたいと思います。

  

 中華街といったらやはり豚まんですよね。恥ずかしながら豚まんというものを食べたことがなく、今回実際に南京町に行って有名な豚まんを食べてきました。



三宮一貫楼の豚まん

 まず私が行ったのは三宮一貫楼というお店。オレンジ色の外観が特徴的なお店で、お店の外からでもガラス張りになっている中で豚まんを作っているのが見えます。外からでもテイクアウトができるようになっていて豚まんを買い求めるお客さんの姿も見受けられました。

 私が行った時間がお昼時ということもあってか、店内は人が沢山いて入ってから呼ばれるまで10分ほど待ちました。






思ってたよりもおっきい…!!!


注文した豚まんは私が想像していたよりも大きく、実際に持ってみてもずっしりと重かった。どうやって食べればいいのかわからず、隣のおじさんが食べているのをじっと観察しながら恐る恐る一口…。

皮が甘くて、中身は豚肉と玉ねぎが入っており、中の餡がぎっしりで味も濃く、口いっぱいに豚まんの味が広がりました。一つしか頼まなかったのですが、スープが一緒についてきました。もっとお手軽な感じで食べられると思っていたので豚まん一つでも十分お腹いっぱいになりました(初めてだったから余計かな)






四興樓の豚まん

次に、阪神元町駅すぐ横の緑色と赤色の店構えの四興樓というお店の豚まんを食べに行こう…と思ったのですが、ここはテイクアウトで。





自宅に持ち帰って一貫楼の豚まんと食べ比べてみると、四興樓の豚まんのほうが皮が分厚く、餡は濃すぎない優しい味で中の玉ねぎが甘く、入っている大きさも大きかったです。

今回二店の豚まんを食べてみて、私的には一貫楼の豚まんはご飯向けで、四興樓の豚まんはおやつ向けだなと思いました。また、私のような豚まんビギナーにはまず四興樓の豚まんを食べてほしいです。反対に豚まんを食べたいんだ!という人には一貫楼の豚まんをそれぞれお勧めしたいなと思いました。



四興樓の豚まん。皮が甘く優しい味がしました。女性におすすめかな。

祥記の豚まん

豚まん発祥のお店・老祥記です。南京町の中心地にあり、写真には映りきらないほど沢山の人が列をなしていました。肝心の豚まんはお腹がいっぱいで食べることができませんでした。





KOBE豚漫サミット 
21年前、阪神淡路大震災が発生し神戸が復興していったのと同じように、東日本大震災で被災した地域の復興のため、「日本の元気を神戸から」というテーマで2011年から開催され昨年で5回目の開催。1111日を豚まんの日とし、例年1111日前後に開催されています(年によって開催日は異なる)。豚まんサミットでは老祥記、四興樓、三宮一貫楼の3店舗の豚まんが入ったサミット限定豚まんセットなどがあるので、有名なお店の豚まんを3つ同時に食べ比べてみたい方はぜひ行ってみてください!ほかにもいろいろな豚まんのお店や企業、大学などからもサミット限定オリジナル豚まんも販売されています。


2015年は豚まん発祥のお店である老祥記が100周年という節目を迎え、今もなおますます南京町は盛り上がっています。



取材・有馬瑞貴

みんなで南京町に行っチャイナ! 第二部 スウィーツ放浪記 2016/1/11





南京町は神戸を代表とする小さなチャイナタウン。南京町に行くと中国ならではの赤や朱色の建物が沢山。わざわざ中国に行かなくても南京町で中国に行った気分を味わえるんじゃない!?っていうくらい中国っぽい。


そんな中にピンク色のお店が







シュークリームで有名なエスト・ローヤルというお店です。可愛らしいお店の色が気になりふら~っと寄ってみると中には美味しそうなシュークリームや焼き菓子などお菓子が沢山。

私はエスト・ローヤルで人気のシュー・ア・ラ・クレームを買って食べたのですが、シュー生地が香ばしく持った感じだけでもボリュームがありました。中のクリームは重量ずっしりでバニラビーンズとミルクの味がしていて口の中が甘くなりすぎないので、甘いものが苦手な男性などでも食べやすいと思います。








紙袋がかわいかったので一緒に撮りました。



 南京町から帰ってきてこの記事を書く際に資料を探していると、複数のグルメ本にエスト・ローヤルが載っていました。それだけいろんな人に人気のお店だということがわかります。


…マシュマロ専門店?


南京町に軒を連ねているお店の中を抜けていくと、人通りが少なく静かな通りに出てきます。

そんな中でまたピンク色の目立つお店が。どうやら女子はピンクに目が行きやすいようです。







神戸マシュマロ浪漫というお店です。南京町にマシュマロを売っているお店があるなんて当然知らなかったのでまた寄ってみることに。ショーケースには可愛らしいカップに入った色とりどりのマシュマロが並んでいました。マシュマロだけを買うなんて今まで経験したことがなかったので、お店の中で迷っていると店員さんがお勧めを教えてくださいました。


ストロベリーやラズベリーなどのベリー系が人気だと聞いて、ストロベリーを購入。

手に取ってみると市販のものよりふわふわで軽く、口に入れるとふわっと溶けて喉越し良く、フレーバーの味が広がりました。噛んでいくうちに味が広がっていき幸せな気分に浸れますよ。





行ってみないことには意味がない!南京町に行っチャイナ!味わっチャイナ!


今回実際に南京町に出向いてみて、新たなお店を発見することができたし、豚まんの味を知ることができました。南京町の中心には沢山のお店がひしめき合っていて人もすごく多かったけれど、少し隣の路地に入るとさっきまでの賑やかさは消え静かな路地に…なんてこともありました。また、出店のようにお店があるので、店先にテーブルや椅子を並べて買ったものを外で食べている人がいて、今まであまりそんな景色を見たことがなかった私は、ザ・繁華街というようなものを目にすることができてなぜかワクワク心が躍りました。

そして中華ばかりだと思っていた南京町でしたが洋菓子を売っているお店もあったし何よりも、チャイナタウンなのに日本人ばっかり!ここが一番面白いなと実際に行ってみて思いました。日本の文化も素敵ですが、異文化に触れあうちょっとしたはじめの一歩として南京町に行ってみてはいかがでしょうか。
 



店の外にテーブルや椅子が並んでいる。あえて寒いところで温かく美味しいものを食べるのもいいんじゃないでしょうか。



参考

三宮一貫楼ホームページhttp://www.ikkanrou.co.jp/

四興樓ホームページhttp://shikohroh.com/

神戸豚饅サミットホームページhttp://www.kobebutaman-summit.com/

老祥記ホームページhttp://roushouki.com/

エスト・ローヤル南京町本店ホームページhttp://www.estroyal.co.jp/

マシュマロ専門店神戸マシュマロ浪漫ホームページhttp://www.kobe-roman.com/

株式会社アートデザインセンター『神戸のお菓子がささやいた おいしい夢を神戸から―』神戸新聞総合出版センター p.14-15(2002)*

 グルメ紀行『神戸 とってもおいしいケーキ屋さん』メイツ出版株式会社 p.28-29(2008)*

*ともにエスト・ローヤルについて記載


取材・有馬瑞貴

2016年1月28日木曜日

「少年H」の舞台を訪ねる 2016/1/10


 2013年に映画化された妹尾河童作の小説「少年H」の舞台の神戸に行ってきました。

「少年H」あらすじ

 胸に「H.SENO」の文字を編み込んだセーター。外国人の多い神戸の街でも、昭和十二年頃にそんなセーターを着ている人はいなかった…。洋服屋の父親とクリスチャンの母親に育てられた、好奇心と正義感が人一倍旺盛な「少年H」こと妹尾肇が巻き起こす、愛と笑いと勇気の物語。毎日出版文化賞特別賞受賞作。(「BOOK」データベースより)


この「少年H」という小説は、舞台美術家であり作家である妹尾河童自身の戦前・戦後を挟んだ少年時代の体験をもとに書かれた自伝的小説であり、河童が育った神戸の町が舞台となっています。今回は、作中に出てくる3か所の場所に行ってきました。




Hは次の日曜日に、大丸百貨店の近くへ出かけた。焼け残ったビルが進駐軍の病院として使われていたからだ。


1945年あと半年で終戦になろうとする2月ごろ、米軍機の神戸市街地などへの攻撃が本格化し、317日、511日、65日が大規模空襲とされ、8千人以上が犠牲になったとされています。


 さて、その建物は、正確にはわかっていないのですが、大丸神戸店の近くにあったとされています。この場所で主人公は、絵が上手だったので進駐軍のアメリカ兵の似顔絵を描いて、そのお礼にたばこをもらい、それを米に変えていました。


目指す「フェニックス工房」は、トーアロードを下りて西側の路地の奥にあった。でも、すぐには見つからずウロウロしてしまった。


 このトアロード周辺の店の、「フェニックス工房」という看板屋で、主人公は働いていました。この場所で働けたのは、小磯先生という人の紹介で、小磯先生との出会いは主人公にとって、とても大きなものです。


 有名な洋画家である小磯良平は兵庫県立第二神戸中学校卒で、「少年H」 を書いた妹尾河童さんの先輩で、実際に小磯画伯に師事していたそうです。
 教練射撃部には、この神社の境内を掃除するという伝統的な仕来りがあった。それは、雨が降ろうが風が吹こうが、毎日曜日の朝に行われ、部員は絶対にサボることはできなかった。

 この場所に主人公は、勤労奉仕によく行っていました。勤労奉仕とは、学生たちを無償で働かせることです。本当なら勉強をするはずだった時間に働き、お腹もすいているのに働かないといけないということは、辛いことだと思いました。
 「少年H」に関する場所を訪れてみて、やっぱり本の中のより発展しているなと思いました。でも、そんなに変わらずに残っているところもあって、少年Hを追体験した気分になりました。
戦 争が実際にどんな風だったか知らなかったけど、この小説を通して、少しは理解できたかなと思います。
 この本は、主人公Hが戦争を通して思ったこと、感じたことがそのまま書かれていて、読みやすいので、多くの人に読んでほしいなと思いました。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
妹尾河童(舞台美術家・随筆家)
昭和5623日生まれ。小磯良平に師事。藤原義江歌劇団にはいり,昭和29年「トスカ」の舞台美術を担当し注目される。33年フジテレビに入社,映像美術を担当。55年独立,以後オペラ,バレエ,演劇の舞台美術を手がけた。名はあだ名からの正式な改名。平成9年小説「少年H(毎日出版文化賞)が大ベストセラー。兵庫県出身。神戸第二中学卒。著作に「河童が覗いたヨーロッパ」など。

参考資料
「少年H」 妹尾河童 (講談社)
 
取材:入江遥